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2008年1月 8日 (火)

津野浩投手

サンスポで懐かしい選手の記事を見つけた。
071226_1













自分が日ハムファンにどっぷりはまるきっかけとなった選手が
津野浩投手だった。 
※浩→広志→浩志と改名
モデルのようなすらっとした体系で、
プロ野球ニュースのトークゲストに真っ赤なジャケットと黒のタートルで登場したり、
(確か)真っ赤なポルシェに乗ってたり・・・
何かとセンセーショナルな、後の新庄のような選手だった。

肩書きに「元日本ハム」って書いてあるのがウレシイな!!

ってコトですごく思い入れのある
津野投手に関して再編集。


津野投手は日本ハムの元エース(背番号30)。
速球派でSFFが武器。
 ⇒コレが原因で肘を故障と言われている。
晩年はシュートピッチャーだった。

高校(高知商業)時代から、
恵まれた体格から投げ下ろす直球とカーブのコンビネーションの本格派として活躍。
※同期には水野(池田)・野中(中京)・藤王(享栄)+池山(市立尼崎)ら
 ・・・そういわゆる40年会の面々がいたのでイマイチ注目されず。。
しかし、吉井(箕島)から満塁本塁打を放ったのはよく覚えている。
そして続くPL学園(KKが1年生の時)戦の壮絶な打撃戦も(桑田から本塁打)。
ちなみにノックアウトされたあと出てきた1年生の中山が好投したことも。

ドラフト3位で日本ハムに指名され高卒1年目からローテーションの一角として4勝(8敗)。
当時、渡辺久信(L)・加藤伸一(H)と19歳トリオとして騒がれていた。

その後、3年連続開幕勝利投手となるなど、
エースとして不動のポジションを築ていくと思いきや、
トレンディエース西崎をはじめ、武田、松浦、酒井、白井勝(+柴田)など若手投手の台頭と
肘の故障の為に年々調子が上がらなくなってく・・・。

そして1991年オフ、広島・金石とのトレードが成立
金石はその後日本ハムの守護神として活躍をしていくが、
一方の津野はその年、一軍でアウト2つしか取れず戦力外通告。。

翌年、津野は肘の調子も良くなり中日の入団テストを受け見事に合格
移籍1年目は敗戦処理(ロングリリーフ)から始まり、
チームの故障者続出に伴い、中継ぎ中心に時には谷間の先発と活躍していたが、
優勝争いをしている9月上旬、エース山本昌が故障で離脱すると、
当時の中日を象徴する与田・森田病(一人の投手を怪我するまで酷使する)にハマッてしまい、
先発・中継ぎとフル回転し予想通り肘・肩を壊してしまう。
翌年はプロ入り初の登板機会無し⇒2度目の戦力外通告。。。

翌年まだ29歳だった津野はもう一度テスト入団でロッテ入り。
しかしチームが黒木を中心とした若返り施策のため、登板機会はほとんどなし。
3年目のシーズンを終了後、3度目の戦力外通告。。。。

その後津野は阪神の入団テストを同じくロッテから戦力外通告を受けた
マイク仲田・遠山らと受けるも不合格。
※当時「野手」だった遠山が「投手」として合格したのもこの年。

そして翌年「プロ野球選手」から「プロゴルファー」へと転身することになる。

通算成績 231試合53勝71敗 防御率4.61
本当は「泥臭い」なんて全く似合わない雰囲気の選手だったのに、
結果的には2度のテスト入団など最後の最後まで「泥臭く」頑張った選手だった。
自分にとってはどんな記録よりも本当に記憶に残る「エース」だった。

引退後数年たった今では、マスターズリーグの札幌アンビシャスで再びエースとして最多勝となり
優勝に大きく貢献するなど、現役の時以上?に大活躍!!

今季も現在投手最多の16イニングを投げて無失点記録を継続中!
すごい!!

現役を引退しても全然体系変わってないし、
津野の投げる姿、見に行こうかなぁ。

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