選手

2009年11月10日 (火)

悔しいけど・・・

日本シリーズは結果だけ見ると巨人に完敗。

でも面白いシリーズだった。


負けたのは悔しいけど、
高橋信二という4番バッターの名前が売れたのはうれしい。

ここにも書いてあるけどほんとイイ選手なんだよ。
http://number.bunshun.jp/npb/column/view/4293/page:1

スレッジ、小谷野も覚えられたかな?

一見地味だけど、頑張って凄い選手というのはたくさんいる。
そういう選手をもっとメディアが取り上げてくれるといいんだけど。。。

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2008年11月17日 (月)

巨人の配慮と

二岡の日ハム移籍、上原のトレードに続いて
清水も西武への移籍が決まった。
生え抜きで巨人を引っ張ってきた3人が一気に退団。

なんか野球ファンとしてこの状況は感慨深いものがある。

でも他の人がどう思うか知らないけど、
清水の移籍に関しては巨人の配慮をすごく感じた。

完全に憶測だけど、
若手の台頭(特に同タイプの亀井とか)や年齢からしても
チームの方針に合わないし、ここのところの成績では
本当は"戦力外"になっても仕方なかった。

でも球団として本人の現役続行の意思と、
今までの貢献度と、
本人のプライドを尊重して戦力外にせず、
家族や家のこともあるだろうから
近隣の球団と移籍の交渉をしてたってことでしょう?


おそらくベンチ入りしなかった
クライマックスや日本シリーズの前から。
たしか、鹿取の西武移籍も同じような理由だったと思うけど、
なんかこういうところは巨人の良い所と
球団の交渉能力の凄さだと思うな




それに引き換え横浜は、、、
昔も高木豊や屋鋪なんかもそうだったけど、

石井琢朗や鈴木尚に対して割とあっさりとした
引退勧告前提の "戦力外通告"。
なんかすごく非情に感じちゃうな。。。


ま、本当はただ巨人のようにしようとしていた移籍交渉が
単に上手くいかなかったのかもしれないけど・・・なんかね。



移籍の経由は違うし、まだ違和感が残るけど
西武の清水広島の石井琢朗ももう一度輝けますように。

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2008年10月31日 (金)

復活を目指して

自分が大学時代、駒澤大学の野球部は強かった。
今はなんと東都の2部に甘んじてるんだけどね。。。
来年は駒苫連覇メンバーの林裕也も4年だし
なんとか復活して欲しい。

今は無くなってしまったけど、
大学生と社会人のそれぞれの優勝チームが
対戦する「全日本アマチュア野球王座決定戦」も
大学として初めて制したりもした。

その原動力は、当時の太田監督の采配ももちろんのこと、
主将の高木浩之(元L)、本間満(SB)、
そして何と言っても絶対的エースの河原純一(元G⇒L)がいたからだ。

河原は原第一次政権日本一時のクローザーや数々の救援失敗
(そしてその数年前のスキャンダル・・・)
って印象が強いけど、
自分にとっては学生時代の先発やって翌日リリーフみたいな
スーパーエースのイメージが強い。

東都で3度もMVPを獲得してるしね。
今でいうダルビッシュのような、
今日は河原が投げるから負けないっていう感じ。

でもプロ入りしてからは怪我が多く、
彼が本来持ってる力を出し切れていないような気がしていた。

そして去年、ライオンズを自由契約となって
トライアウトでもドコからも声を掛けられなかった時
ものすごく寂しい気持ちになった。

で、この記事を発見!
「中日が河原をテスト」

心はまだ燃え尽きていないようだ。
自分が納得できるまで何度でも頑張ってください!先輩!

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2008年8月 5日 (火)

マサさんおめでとう!

実際には試合を見てなくて、
あとでニュースで知った。
山本昌投手の200勝達成!!

すごいなぁ42歳。
アメリカの野球留学中に呼び戻され活躍し、
優勝に貢献したのが88年。
あれから20年経つのか・・・(××;)
でも、こういう年上の選手の活躍は本当に励みになる。

年上といえば、昨日は清原さんも復帰後初ヒット!
まぁ、相手ピッチャー的にはストレートしか
投げちゃいけないような雰囲気だったけど、
なにはともあれこちらもおめでとう!

月末にスカイマーク、京セラDに行くことが決定したので、
そこまでに離脱をしませんように・・・(^人^)

両選手とも1日でも長く現役で頑張ってくださいね。

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2008年7月18日 (金)

昨日のニュース

やっぱ書きたいので。

【野茂引退】
野茂投手を初めて見たのがソウル五輪だったと思う。
変な投げ方だなぁって思ってからもう20年か、はやいね。

引退について「お疲れさまでした」って素直に思うけど、
個人的には、桑田さんの引退の時ほど
「悲しい」とか「辞めないで」とは思わなかった。
コレは個人的な思い入れの差だろうけど・・・
でも、日本のプロ野球の歴史を変えたって言ってもいい
すごい選手だとは思うけどね。

『僕の場合は悔いが残る』って、
自分に正直な野茂さんらしい言葉だ。
自分が何かを終わらせる決断をした時に
燃え尽きたって思える人は幸せなんだなって改めて思ったよ。

【闘莉王初のハットトリック】
闘莉王が全得点の活躍で浦和レッズ首位奪取。
う~ん。
コレは喜んでいいのかビミョー。。。

正直、本職でない攻撃的MFで
しかも全得点を挙げるなんてスゴイと思うよ。

でもさぁ、
アジア王者のレッズがアレだけのメンバーを揃えて
良くも悪くも「闘莉王のチーム」でいいのか?
ってなんか納得できない部分があるんだよねぇ。
FW陣(特に高原)はもっとプライドを持って頑張らないと。
もう7月なのに「徐々に良くなってきた」なんて
言ってる時期じゃないと思うんだけどね。

もっとチーム全体として機能してもらわないと
サッカーの内容は良くならないし、
レッズのサッカーは強いかもしれないけど、
おもしろくならないと思うわ。

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2008年3月27日 (木)

お疲れさま。とは言いたくないけど・・・

衝撃を受けた桑田の引退表明
本人のブログでもその思いが綴られている。

そして清原もコメント。。。
正直・・・泣きそうだ。。

昨年シーズン途中で解雇された時に自分が何を書いたかを読み返してみたら
「完全に燃え尽きるその瞬間まで」応援したいって書いてた。

今回、桑田本人のブログ
「ただ、僕の心が納得し、燃え尽きてしまったんだよ。」
って書いてあったので、
もうこれ以上「選手」としての桑田真澄を
応援することは無いんだなって思った。

時代がひとつ終わった。
こういう感覚って、そういうことなんだなぁって。

桑田の高校時代から25年間。
四半世紀。
結構長い間だよ。
当時小学生だった自分も30をとっくに過ぎてる。

そのうち、伝説の投手:桑田の現役時代を知っていることが
幸せに感じることになるんだろう。

本当はまだ言いたくなかったけど、自分も区切りをつけなければ。
桑田選手、お疲れさまでした!
そして、ありがとうございました!!

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2008年1月 8日 (火)

津野浩投手

サンスポで懐かしい選手の記事を見つけた。
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自分が日ハムファンにどっぷりはまるきっかけとなった選手が
津野浩投手だった。 
※浩→広志→浩志と改名
モデルのようなすらっとした体系で、
プロ野球ニュースのトークゲストに真っ赤なジャケットと黒のタートルで登場したり、
(確か)真っ赤なポルシェに乗ってたり・・・
何かとセンセーショナルな、後の新庄のような選手だった。

肩書きに「元日本ハム」って書いてあるのがウレシイな!!

ってコトですごく思い入れのある
津野投手に関して再編集。


津野投手は日本ハムの元エース(背番号30)。
速球派でSFFが武器。
 ⇒コレが原因で肘を故障と言われている。
晩年はシュートピッチャーだった。

高校(高知商業)時代から、
恵まれた体格から投げ下ろす直球とカーブのコンビネーションの本格派として活躍。
※同期には水野(池田)・野中(中京)・藤王(享栄)+池山(市立尼崎)ら
 ・・・そういわゆる40年会の面々がいたのでイマイチ注目されず。。
しかし、吉井(箕島)から満塁本塁打を放ったのはよく覚えている。
そして続くPL学園(KKが1年生の時)戦の壮絶な打撃戦も(桑田から本塁打)。
ちなみにノックアウトされたあと出てきた1年生の中山が好投したことも。

ドラフト3位で日本ハムに指名され高卒1年目からローテーションの一角として4勝(8敗)。
当時、渡辺久信(L)・加藤伸一(H)と19歳トリオとして騒がれていた。

その後、3年連続開幕勝利投手となるなど、
エースとして不動のポジションを築ていくと思いきや、
トレンディエース西崎をはじめ、武田、松浦、酒井、白井勝(+柴田)など若手投手の台頭と
肘の故障の為に年々調子が上がらなくなってく・・・。

そして1991年オフ、広島・金石とのトレードが成立
金石はその後日本ハムの守護神として活躍をしていくが、
一方の津野はその年、一軍でアウト2つしか取れず戦力外通告。。

翌年、津野は肘の調子も良くなり中日の入団テストを受け見事に合格
移籍1年目は敗戦処理(ロングリリーフ)から始まり、
チームの故障者続出に伴い、中継ぎ中心に時には谷間の先発と活躍していたが、
優勝争いをしている9月上旬、エース山本昌が故障で離脱すると、
当時の中日を象徴する与田・森田病(一人の投手を怪我するまで酷使する)にハマッてしまい、
先発・中継ぎとフル回転し予想通り肘・肩を壊してしまう。
翌年はプロ入り初の登板機会無し⇒2度目の戦力外通告。。。

翌年まだ29歳だった津野はもう一度テスト入団でロッテ入り。
しかしチームが黒木を中心とした若返り施策のため、登板機会はほとんどなし。
3年目のシーズンを終了後、3度目の戦力外通告。。。。

その後津野は阪神の入団テストを同じくロッテから戦力外通告を受けた
マイク仲田・遠山らと受けるも不合格。
※当時「野手」だった遠山が「投手」として合格したのもこの年。

そして翌年「プロ野球選手」から「プロゴルファー」へと転身することになる。

通算成績 231試合53勝71敗 防御率4.61
本当は「泥臭い」なんて全く似合わない雰囲気の選手だったのに、
結果的には2度のテスト入団など最後の最後まで「泥臭く」頑張った選手だった。
自分にとってはどんな記録よりも本当に記憶に残る「エース」だった。

引退後数年たった今では、マスターズリーグの札幌アンビシャスで再びエースとして最多勝となり
優勝に大きく貢献するなど、現役の時以上?に大活躍!!

今季も現在投手最多の16イニングを投げて無失点記録を継続中!
すごい!!

現役を引退しても全然体系変わってないし、
津野の投げる姿、見に行こうかなぁ。

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2007年9月28日 (金)

引退を決めた選手たち

今年もまもなくシーズンが終わろうとしており、
10/3には高校生ドラフトが行われる。
つまり新しい選手が入ってくる分、
ほぼ同数の選手たちが引退をすることになるってこと。

今年はまたけっこう思い入れのある選手たちが、すでに引退を発表している。
なんか新しい時代が来るっていう喜びの反面、寂しい気持ちの方が大きいかも。

・田中幸雄選手(日本ハム)
いわずと知れた「ミスターファイターズ」
この選手のことはたくさん書いてるんで。。。
最後の最後まで「戦力」として現役生活をまっとう出来る事は
幸せなことだと思う。
もう一度「幸雄ジャンプ」をやりたいな!

・鈴木健選手(西武-ヤクルト)
地元、埼玉出身のプロ野球選手といえば、いまだにこの人って感じがする。
今では甲子園の常連となった浦和学院の歴史は
鈴木健、谷口の2年生コンビから始まったし。
逆に驚いたんだけど、プロでの主なタイトルってベストナイン2回と
カムバック賞くらいしかなかったんだね。
「西武黄金期」の固定メンバーに埋もれてしまって、
その潜在能力を最大限に発揮できなかったような気がするのが残念。

・関川浩一選手(阪神-中日-楽天)
「1番キャッチャー関川」当時、衝撃を受けた阪神の打順だった。
阪神時代はキャッチャーのときは打つけどリードが・・・
でも外野で起用すると打てないって感じだった気がする。
矢野たちとのトレードで中日に行ってからは、外野固定でも打てるようになった。
切り込み隊長として優勝にも貢献も、日本シリーズでは不振で戦犯扱い。
まぁ、それだけ期待が高かったということだ。
1塁へのヘッドスライディング、最後にもう一度見せてくれるのだろうか。

・石井貴投手(西武)
「投げる金剛力士像」
気迫を前面に押し出すピッチングは気持ちが良かった。
あとはピッチングよりも、インタビュー等での
「怖いキャラ」を演じていたイメージが強い。
清原がいた時は弟分、松坂に対しては兄貴分って感じの選手。
日本シリーズでシーズンよりも多くの勝利をあげMVPとなったのは見事!

・佐々岡真司投手(広島)
ルーキーから二桁勝利・二桁セーブと今思えば佐々岡らしいデビューだった。
2年目には最多勝・最優秀防御率・沢村賞などMVPの活躍で優勝に貢献。
本当に凄いピッチャーが現れたと思った。
チーム事情から先発・中継ぎ・抑えと役割がコロコロと代わるなか、
全てで対応し江夏以来の先発100勝100Sを達成。
どちらかに専任だったら・・・ってつい思ってしまう選手だった。

・古田敦也捕手(ヤクルト)
自分にとって「キャッチャー感」が変わった選手。
キャッチャーは守れればいいってだけでなく、打撃も求められるようななった。
選手会での振る舞いとかも含めて正真正銘の「リーダー」って感じ。
兼任監督としての成績は良くは無かったけど、
これからもプロ野球界を背負って立つ存在になるんだろう。
また、他球団のファンからも声援を送られるってところがこの人らしいところ。
10/3に神宮へ行くことが決まったので、最初で最後の「代打オレ!」を
この目に焼き付けたい。

皆さん本当にお疲れさまでした。

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2007年9月 1日 (土)

「孤高の天才」

広島カープ・前田智徳選手が2000本安打達成!!

7回の第4打席までノーヒットで
今日はダメかな・・・って思っていたところ、
8回のカープの猛攻でもう一回チャンスが回ってきた。

前の打者の新井の打席でに「ボール」が宣告される度に
球場全体が異様な盛り上がり。

2アウト満塁の場面でその時が来た。
ライト線へ弾丸ライナーでの2点タイムリー。
すごく前田らしいヒットだった。

球場の雰囲気といい、ファンのチカラが
このヒットを打たせたような気がする。

幸雄さんの時もそうだったけど、長い間頑張っている選手のこういう姿には
やっぱり感動して泣けてきた。

本当におめでとうございます!!

※記念ってことで、
 以前、他で書いたものを再アップ。
 文章の書き方が随分違うなぁ。

「天才」という名が最も相応しいのは誰だろうか?

三冠王3回の落合か?
メジャーシーズン最多安打のイチローか?

その2人でさえ「真の天才」と認める選手
それが前田智徳だ。

俊足・巧打、一発もあり、守備も上手。
本塁打を打ってもニコリともせず、
また、周りの評価に耳を貸さずに
常に自ら「完璧」を探求しつづける。
そのストイックな姿勢は他を圧倒していた。

熊本工業高校を卒業後、
1年目から1軍で出場し、
2年目にはレギュラーを奪取(2番センター)し優勝に貢献。
3年目には打率.301・本塁打19本・打点89・盗塁18、
4年目には打率.317・本塁打27本・打点70・盗塁10をマークするなど、
その天才ぶりを隈なく発揮していた。

4年目の92年9月の巨人戦では、
そんな前田を物語る1つのエピソードがある。

1-0でリードの5回裏2アウト、
マウンドには200勝まであと2勝と迫っていた北別府学が立っていた。
バッターボックスにはは2番川相昌弘。
川相の当たりはライナーでセンターへ。
ダイレクトキャッチを試みた前田は、前に突っ込んできた。
しかし、間一髪間に合わず後逸。
そのまま打球は転々とフェンスまで到達する間に、
打者走者の川相が一気にホームイン。
1-1の同点となり、北別府の勝利投手の権利は泡と消えた。

ゲームは1-1のまま迎えた8回表2アウトランナー1塁、
バッターボックスには3番センター前田。
マウンドには当時巨人の抑えのエースだった石毛。
カウント2-2から投じた5球目を前田がフルスイング。
打球はライトスタンド最上段に突き刺さった。
そしてニコリともせずグランドを1周する前田の目には光るものがあった。
前田は泣いていたのである。
試合はそのホームランが決勝点となり、
3-1でカープが勝利。
当然ヒーローインタビューも前田が呼ばれた。

・・・しかし前田は姿を現さなかった。
「自分のミスで同点にされ、その後にいくら決勝本塁打を放ったからといって、
その男がヒーローになるのはおかしい。北別府さんに申し訳ない」

というのが理由だった。

その後前田は、試合中に流した涙について、次のとおり語っている。
「本来ミスを取り返さなければいけなかった次の打席で、アウトになってしまった。
あそこで打てなかった自分は本物じゃない。そのことに腹が立って泣いたんです。
最後にホームランを打ったところで、自分のミスは消えない。
あの日、自分は負けたんです。」
と。

その後も順調に成長していく「天才」に、
野球の神様は冷酷な試練を与える。
95年5月23日神宮球場のヤクルト戦、
「天才」前田はセカンドゴロで1塁ベースを駆け抜けた際に、
顔を歪めその場に崩れた。

『右アキレス腱断裂』

その後右足をかばうことによる肉離れなど
満身創痍ながら4年連続3割をマークするなど見事復活するが、
江藤が抜け開幕4番に指名された00年には左アキレス腱の手術

その復帰後、また3割20本を放ち活躍し現在にいたるが、
いつしか両足に爆弾を抱えた「天才」の姿には
以前のようなスピードは影を潜めてしまった。

しかし、度重なるケガを乗り越え『不死鳥』のごとく復活する前田。

ケガさえなければ、2000本安打もとっくに打っていただろう。
ケガさえなければ、3冠王を取っていただろう。
ケガさえなければ、メジャーで活躍していただろう。

そんな憶測も飛び交う中、
彼はそんな次元の話より目の前の敵に対して
常に「いい打球を打つ」・「勝負に勝つ」といった
『やるかやられるかの勝負』をしている。

そこが前田が真の「天才」と呼ばれる所以である。

2000本安打本当におめでとうございます。

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2007年5月18日 (金)

田中幸雄選手

2000本安打達成記念の勝手に略歴です。
※以前に書いたもののリライトです。

ミスターファイターズ田中幸雄選手は、KKと同級生
⇒宮崎県の都城高校2年の春・夏にともにPLと対戦しいずれも敗戦。
⇒特に選抜準決勝でのエース田口(元南海)の好投報われず
  サヨナラエラーで0-1で負けた試合は結構有名。

高校卒業後85年のドラフト3位でファイターズに入団。

しかし当時、同じファイターズに「投手」で
同姓同名の「田中幸雄」選手が在籍していました。
⇒ノーヒットノーラン達成投手
⇒後にドラゴンズへ移籍。

ということで同時期に同姓同名の選手がいたたので
区別される為「コユキ」というあだ名が付けられた。

新聞やバックスクリーンでは、投手の方を「田中幸」
コユキを「田中雄」として表記しました。
⇒投手が移籍後は「田中」、
 しかしすぐに別の「田中」選手が入団してきて(現在では賢介)、
 それ以降ずっと「田中幸」と表記されている。

入団1年目から、ポスト高代として期待され試合に出場していたけど、
強肩のショートにありがちな「送球難」(田口、福留、鴻野淳基など・・・)から
エラーを爆発的に起こしていたけど、
当時の高田監督(現GM)の辛抱もあって強肩を活かした名ショートとなる。
⇒当時西武黄金期の中、田辺を抑えてゴールデングラブ賞や
 ベストナインに選ばれたりします。
イメージとしては.250 HR15本くらいの6番打者でしたけど。

でも、今も抱えている右肘をケガしてしまい
休んでる間に広瀬の台頭もあって
外野へコンバート。

ケガが良くなってきてから打撃も飛躍的に良くなり
.270 HR25本くらいのバッターに変身。
その後上田監督時代に広瀬がサードに回って、
ショートに戻り、95年には打点王に輝く。

⇒イチロー、初芝とタイトルを分け合う。
⇒ちなみに80打点というレベルの低い時代。HR王の小久保も27本。
⇒ショートでの守備機会連続無失策のパ・リーグ記録(現在も最高記録。339回)
⇒ちょうどこの時期に「全打順本塁打」達成!
※ちなみにあと投手・捕手をやれば元ロッテ・オリ・近鉄五十嵐以来の
 「全ポジション経験&全打順本塁打」達成。なんて器用な選手なんだろう。

その後、片岡、ウィルソン、小笠原らの台頭により
「ビッグバン打線」の核弾頭(1番打者)となるが、
2000年以降右肘痛の再発から一塁や外野の守備に付く機会が多くなる。

2003年終了時に2000本安打まであと「99本」だったけど、
04・05・06と出番の少なくなってくなか、同期の清原はもとより、
後から入団したイチロー・野村・古田・石井琢・立浪・松井と次々と抜かれていった。

でもそんな順番なんて関係ない。
元々無口だけどチームの為に背中で引っ張るその姿がみんな大好き。
他球団も含めみんなに愛されている人格者だ。

そして昨日2007年5月17日かつての本拠地東京ドームで2000本安打を達成。

ちなみに球界初のストライキ直後の試合で、
新庄が逆転満塁本塁打を打った試合で、
抱き合って追い抜き幻の本塁打にしてしまったのが、ユキオさんだったのです

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