広島カープ・前田智徳選手が2000本安打達成!!
7回の第4打席までノーヒットで
今日はダメかな・・・って思っていたところ、
8回のカープの猛攻でもう一回チャンスが回ってきた。
前の打者の新井の打席でに「ボール」が宣告される度に
球場全体が異様な盛り上がり。
2アウト満塁の場面でその時が来た。
ライト線へ弾丸ライナーでの2点タイムリー。
すごく前田らしいヒットだった。
球場の雰囲気といい、ファンのチカラが
このヒットを打たせたような気がする。
幸雄さんの時もそうだったけど、長い間頑張っている選手のこういう姿には
やっぱり感動して泣けてきた。
本当におめでとうございます!!
※記念ってことで、
以前、他で書いたものを再アップ。
文章の書き方が随分違うなぁ。
「天才」という名が最も相応しいのは誰だろうか?
三冠王3回の落合か?
メジャーシーズン最多安打のイチローか?
その2人でさえ「真の天才」と認める選手
それが前田智徳だ。
俊足・巧打、一発もあり、守備も上手。
本塁打を打ってもニコリともせず、
また、周りの評価に耳を貸さずに
常に自ら「完璧」を探求しつづける。
そのストイックな姿勢は他を圧倒していた。
熊本工業高校を卒業後、
1年目から1軍で出場し、
2年目にはレギュラーを奪取(2番センター)し優勝に貢献。
3年目には打率.301・本塁打19本・打点89・盗塁18、
4年目には打率.317・本塁打27本・打点70・盗塁10をマークするなど、
その天才ぶりを隈なく発揮していた。
4年目の92年9月の巨人戦では、
そんな前田を物語る1つのエピソードがある。
1-0でリードの5回裏2アウト、
マウンドには200勝まであと2勝と迫っていた北別府学が立っていた。
バッターボックスにはは2番川相昌弘。
川相の当たりはライナーでセンターへ。
ダイレクトキャッチを試みた前田は、前に突っ込んできた。
しかし、間一髪間に合わず後逸。
そのまま打球は転々とフェンスまで到達する間に、
打者走者の川相が一気にホームイン。
1-1の同点となり、北別府の勝利投手の権利は泡と消えた。
ゲームは1-1のまま迎えた8回表2アウトランナー1塁、
バッターボックスには3番センター前田。
マウンドには当時巨人の抑えのエースだった石毛。
カウント2-2から投じた5球目を前田がフルスイング。
打球はライトスタンド最上段に突き刺さった。
そしてニコリともせずグランドを1周する前田の目には光るものがあった。
前田は泣いていたのである。
試合はそのホームランが決勝点となり、
3-1でカープが勝利。
当然ヒーローインタビューも前田が呼ばれた。
・・・しかし前田は姿を現さなかった。
「自分のミスで同点にされ、その後にいくら決勝本塁打を放ったからといって、
その男がヒーローになるのはおかしい。北別府さんに申し訳ない」
というのが理由だった。
その後前田は、試合中に流した涙について、次のとおり語っている。
「本来ミスを取り返さなければいけなかった次の打席で、アウトになってしまった。
あそこで打てなかった自分は本物じゃない。そのことに腹が立って泣いたんです。
最後にホームランを打ったところで、自分のミスは消えない。
あの日、自分は負けたんです。」と。
その後も順調に成長していく「天才」に、
野球の神様は冷酷な試練を与える。
95年5月23日神宮球場のヤクルト戦、
「天才」前田はセカンドゴロで1塁ベースを駆け抜けた際に、
顔を歪めその場に崩れた。
『右アキレス腱断裂』
その後右足をかばうことによる肉離れなど
満身創痍ながら4年連続3割をマークするなど見事復活するが、
江藤が抜け開幕4番に指名された00年には左アキレス腱の手術。
その復帰後、また3割20本を放ち活躍し現在にいたるが、
いつしか両足に爆弾を抱えた「天才」の姿には
以前のようなスピードは影を潜めてしまった。
しかし、度重なるケガを乗り越え『不死鳥』のごとく復活する前田。
ケガさえなければ、2000本安打もとっくに打っていただろう。
ケガさえなければ、3冠王を取っていただろう。
ケガさえなければ、メジャーで活躍していただろう。
そんな憶測も飛び交う中、
彼はそんな次元の話より目の前の敵に対して
常に「いい打球を打つ」・「勝負に勝つ」といった
『やるかやられるかの勝負』をしている。
そこが前田が真の「天才」と呼ばれる所以である。
2000本安打本当におめでとうございます。
最近のコメント